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A 妙法華寺



◆当寺の由緒
当寺は経王白妙法華寺といい、日蓮大上人の一の弟子(六老僧第一)大成弁日昭上人によって、凡そ七百年前鎌倉に建てられ、その後、越後、伊豆加殿を経て元和七年、今から三百五十余年前、当地に移転大成されました。この移転に尽力されましたのは、徳川家康公夫人で水戸黄門光囲公の祖田にあたる有名な養珠院お万の万、英勝院お勝の方及び江戸城を築かれた太田道灌公のご子孫と、全国末寺八十余ヶ寺並びに徳川幕府の協力によるものです。
当時の建物は、総門、仁王門を経て正面に十八間四万の大本堂(八日堂)、大中鐘楼、五重の塔、経蔵、三光堂、奥の院、右側に大客殿、祖師堂、大中書院、大小庫裡、周囲に廿四の塔中寺院等凡そ二四〇棟.雄大壮麗の寺観を誇ったものですが、惜しいかな百七十年後、寛政三年の大火に遭ったが、現在の伽藍は百数十年前、第四十一世日桓上人(俳聖一瓢)等の再建によるものが多い。
◆庭園と建物
天を摩す高松老杉に囲まれた境内凡そ二万坪、重厚な石垣、名勝百聞塀を巡らして、風格ある法殿(本堂)、祖師堂、大書院、大庫裡.宝物館、更に駿府城内お万の方の居間を移した奥書院、六十一世日官上人創設の調養泉等がならび建ち表.中、奥の広壮な庭園には四季折々の花が絶えず、菩提樹、沙羅双樹などの聖樹も織りまぜて、大正昭和の先覚者、田中智学先生が「京都のような寺らしい高雅な風韻がある」と激賞された、正に俗腸を洗う清雅な環境である。          (パンフレットより引用)

鐘楼
 この鐘楼の創建年代は不明です。1791(寛政3)の火災で妙法華寺の建物はほとんど焼失しましたが、鐘楼は主要伽藍と離れていたため類焼をまぬかれました。梵鐘は太平洋戦争時に供出されたため現在もありません。
 この鐘楼は入母屋造り、桟瓦葦ぶきで袴腰付きです。鐘楼全体に後世行われた補修などの跡が見られます。





山門横手に建つ日蓮上人像





山門





本堂 (僧侶が修行をした「玉澤道場」跡)







 

大書院





大庫裏





大書院





祖師堂





本堂





祖師堂





  

鐘楼



               

お万の方お手植えの桜





「経王山 妙法華寺」の刻入りの石灯籠









祖師堂前にある手水鉢





大庫裏前の睡蓮を植えた水瓶





喝光門





名勝として知られる百間塀




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