用 語 | 説 明 |
五街道 | 江戸日本橋を起点にした主要街道の東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中 を五街道といいます。 五街道は道中奉行が管理支配していて街道の諸設備などを整えました。 |
脇街道 | 五街道の本街道に対してそれ以外の街道を脇街道と称しました。脇街道の主なものは山陰道、山陽道、北国街道、中国街道、塩の道、伊勢街道などがあります。 |
宿場 | 街道沿いにある宿泊施設と交通・運輸の中継ぎ施設を備えた集落をいいます。徳川幕府は江戸を中心にした道路交通網を整備し、五街道と宿場を制定しました。 |
本陣 | 大名、公家、勅使などが休息、宿泊した施設です。本陣は門を構え、建物は玄関と上段の間があり村の有力者がなりました。苗字帯刀を許される場合が多くありました。 |
脇本陣 | 本陣の補助的休息、宿泊施設です。本陣が満員の場合や大名などの一行で主役の次位の人物などが使用しました。普段は旅籠として営んでいました。 |
旅籠・木賃宿 | 旅籠は一般の宿泊施設で、寝食設備があり商人や旅人などが利用しました。 木賃宿は最低廉価の宿泊施設で、米を持参して煮る薪代、木賃を払って泊まる施設です。 |
問屋場 | 宿場の責任者である問屋が、旅人などの次の宿までの荷物の運搬、必要とする人と馬の数、宿泊の手配を行っていた場所です。 |
高札場 | 賑わう市場、交通の要所、村の辻などに設けました。一般生活の定めなどが家型で木製の板に墨書きされて掲示されました。 |
見附 | |
一里塚 | 徳川幕府は、1604(慶長9)年、日本橋を起点にした街道の整備を進めました。街道の1里(4q)毎に両側に5間(9m)四方の塚を築き、その上に榎や松を植えて、旅人の行程の目安、休息の場所としました。 |
関所 | 徳川幕府は、五街道などに世情平定を目的に関所を数多く設けました。通行には関所手形(通行手形)が必要となりました。全国の諸藩も藩境に旅人などの警備と物資移動の監視のために関所を設けました。 |